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10.11.02.海晏寺(南品川)松平春嶽廟?

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写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)松平春嶽廟?

写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)越前松平家墓所 写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)越前松平家墓所

mixiアルバム記事コピペ――https://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=859975125&owner_id=32815602
2010年11月23日 19:25

●松平春嶽(まつだいらしゅんがく)、第16代越前福井藩主。春嶽は号、慶永(よしなが)が諱。
田安徳川家第3代当主・徳川斉匡の八男。松平斉善の養子。将軍徳川家慶の従弟。英邁な藩主で、幕末四賢侯の一人と謳われる。
※幕末期に鋳造発行された貨幣「文久永宝」の文字は、当時幕府上位閣僚のうち能筆とされた3人の手による。この一部が春嶽の筆。「文久永寳」の寳の字が「宝」と略されている硬貨が春嶽の筆。
「明治」という元号は春嶽が命名。
西洋のリンゴを初めて日本に導入したとされる。文久2年(1862)、春嶽はアメリカ産のリンゴの苗木を入手し、それを江戸郊外巣鴨の福井藩下屋敷に植えたのが最初とされる(ただし遡ること数年前、巣鴨近隣の板橋にあった加賀藩下屋敷にて先行の栽培記録がある)。

●岩倉具視。雅号は対岳。謹慎中の法名は友山。補職・位階・勲等は、贈太政大臣贈正一位大勲位。維新十傑の1人。
昭和26年(1951)発行開始の日本銀行券B五百円券、および昭和44年(1969)発行開始のC五百円券に岩倉の肖像が採用された。C五百円券は500円硬貨の登場(昭和57年(1982))後も、昭和60年(1985)まで製造された。
玄孫に加山雄三。来孫に喜多嶋舞。
※板垣退助以上になりそうなので、やはり何も書かずに終えよう…f(-_-;
安政の大獄、和宮降嫁、失脚、王政復古、日本政府、版籍奉還と廃藩置県、岩倉使節団、征韓論論争、華族問題、立憲問題ほか。


2011年02月09日 11:23
※おまけ
●横井小楠──
1860年“国是三論”「武士とは商業活動を行う商人で、領民のための公僕的役割を果たす存在である」という、武士の身分に否定的考えを唱えた。
1862年暗殺未遂事件。友人と酒宴中に刺客に襲われ、刀を置いたまま、命からがら逃げ延びた。これが士道忘却と非難され、士籍剥奪処分となり失脚。熊本藩の俊才だが、彼の思想・哲学は、熊本藩では受け入れられなかった。
失脚した小楠を助けたのが松平春嶽。いち早く大政奉還の可能性について述べ、坂本龍馬に多大な影響を与えた。松平春嶽政治総裁職と、参勤交代制廃止などの幕政に活躍する。
勝海舟曰く「初めて会った時から途方もない聡明な人だと思った。心中大いに敬服している」と絶賛。西郷と並んで「恐ろしいもの」と評している。

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