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関戸古戦場(多摩市)熊野神社・霞ノ関南木戸柵

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写真: 関戸古戦場(多摩市)熊野神社・霞ノ関南木戸柵

写真: 関戸古戦場(多摩市)熊野神社・霞ノ関南木戸柵 写真: 関戸古戦場(多摩市)熊野神社・霞ノ関南木戸柵

――mixi記事コピペ――2016年11月09日 00:41
関戸城・関戸古戦場(多摩市)
16.11.08.
●関戸城――
築城年、?
築城主、?
城主、山内上杉氏? 佐伯一助道永(後北条氏)
廃城年、?
標高115m/比高50m
遺構、皆無

参考──
「戦国武将列伝Ω」様→ http://senjp.com/sekido/
「なぽ」様→ http://s.ameblo.jp/napo-jou/entry-11543159782.html


●関戸古戦場――
(→wiki)1333年(元弘3年)5月16日、新田義貞は鎌倉幕府倒幕の際に分倍河原の戦いで勝利し、同日に多摩川を越えた。一方、分倍河原から退いた北条泰家(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の弟)は鎌倉幕府の関所である霞ノ関一帯で防衛戦を行った。この戦いでは新田軍側が勝利を収め、北条泰家は家臣の横溝八郎や安保入道父子の奮戦によって一命を取り止め鎌倉に逃走したが、横溝八郎、安保入道父子は関戸で討死をしている。
霞ノ関跡の周辺には横溝八郎、安保入道父子の墓と伝えられる塚や無縁仏(無名戦士の墓)が残っており、旧鎌倉街道沿いにある地蔵堂の前には関戸古戦場跡の標柱が建っている。
現在でも多摩市にある観音寺では毎月16日に戦いで亡くなった兵士のために供養を行っている。
この関戸の戦いから6日後の1333年5月22日、鎌倉幕府は滅亡した。(←)


今日の巡廻マップ→ https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&mid=1GuljqI4yQEnnad5s_7SQchJajAo

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