小手指原古戦場(所沢市)古戦場碑
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mixi記事コピペ――2016年11月08日 22:11
16.11.08.
後醍醐天皇、鎌倉幕府討幕に起つ。「元弘の乱」──
(元弘の乱は、元弘元(1331)年〜元弘3(1333)年までの討幕運動一連の合戦全体を指して述べられることも多い。)
武蔵国入間郡小手指原はたびたび合戦の場とされている。だが、小手指原は広域を指しており、正確な場所は不詳とされている。
(→wiki)元弘3年(1333年)5月11日に行われた新田義貞と鎌倉幕府との戦いについては、久米川の戦い・分倍河原の戦い (鎌倉時代)を参照のこと。
正平7年/文和元年(1352年)閏2月28日に行われた足利尊氏と新田義宗との戦いについては、武蔵野合戦を参照のこと。
また建武2年(1335年)に起きた鎌倉方残党の北条時行と足利尊氏の弟である足利直義の戦い(中先代の乱)でも、小手指原は戦場の一つとなった。(←)
参考──
所沢市HP→ http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/smph/iitokoro/enjoy/bunkakyoyo/bunkazai/kenshiteibunkazai/bunzai_20100420150030643.html
「道・鎌倉街道探索日記」様→ http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/kakuchi/tokorozawa01/kotesashi.html
Ameba「山名城」新田義貞→ → http://s.ameblo.jp/meth-spriggan/entry-12155809430.html
白旗塚──新田義貞がここに源氏の旗を掲げたと伝える。このあたりは古代遺跡が多数発見されている場所で、かつては古墳が多くあったとか。しかし現代はここだけらしい。
江戸時代の富士講による築山という説もある。富士塚だと。
誓詞橋──上野国新田荘、生品明神で挙兵した新田義貞。このときは大館、堀口、岩松、里見、脇屋、江田、桃井ら僅か150騎あまりだったが、その日の夕方には越後新田氏2000騎が合流、利根川を渡る頃には越後・甲斐・信濃の源氏勢力5000騎が参じる。武藏国へ入った後も関東各地から兵が集まり「太平記」には20万7000騎と記されている。
ここはその武士らに忠誠を誓わせたところと伝えられている。
今日の巡廻マップ→ https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&mid=1GuljqI4yQEnnad5s_7SQchJajAo
埼玉巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1n7FXl59z93Omd64JgBAzU4whzdY&usp=sharing
アルバム: 埼玉県3(秩父・西部・川越比企・北部)/武蔵国1
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