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化粧坂切通(源氏山。鎌倉市)

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写真: 化粧坂切通(源氏山。鎌倉市)

写真: 化粧坂切通(源氏山。鎌倉市) 写真: 化粧坂切通(源氏山。鎌倉市)

mixi記事コピペ――
源氏山(鎌倉市営 源氏山公園)
2011年12月05日 13:20

11.12.02.
●源氏山――標高93mの山。

・源氏山公園――この公園は、1965年に山の地形を利用して造営。
中央に芝生、広場にはベンチ、遊歩道も整備、陽射しあたたかく、休日にはカップルや家族連れの憩いの場。
源頼朝の坐像は高さ2m、扇ガ谷、佐助ガ谷一帯を静かに見つめている。
鎌倉山と並ぶ桜の名所。秋の紅葉も見応え十分。
源氏山は他に白旗山、旗立山と呼ばれている。これは後三年の役に際し、八幡太郎義家が奥羽に向かう折、山頂に白旗を立てて戦勝を祈ったという伝説による。


・鎌倉時代、葛原岡(くずはらがおか)一帯は刑場だったと言われており、後醍醐天皇の側近で、鎌倉幕府討幕に関わった日野俊基もここで処刑され、その墓といわれる宝篋印塔、俊基の霊を祀る葛原岡神社が創建(明治21年)されている。
ご神徳は縁結びとある。由緒不明。


・化粧坂――
鎌倉七口のひとつ。
名称の由来は諸説多く、どれも後世に考えられたもの。
“化粧”を“けしょう”と読むと、現在の意味同じく“白粉でお化粧”だが、古くは“けわい”とも読み、その場合は“身だしなみを整える”と言う意味で使われる。
その場合は、都市に入る境で“身だしなみを整える”と言う意味で“けわい(化粧)坂”、鎌倉への境界である坂、との意味で捉えるのが某には最有力。
“化粧坂”という地名は日本各地に見られ、多くは中世の国府や守護所などの近辺に存在する。それらの伝承の多くは境界で“身だしなみを整える”と解釈出来るもので、“境界の場の呼称”として“化粧坂”と通称されていたと考えられる。
現在は鎌倉の内側(鎌倉中)への下り坂が“仮粧坂”として史跡に指定されているが、道の痕跡はいくつもあり、鎌倉時代にどのルートであったのかは全く不明である。
主に武蔵国の国府(現在の府中市・国分寺市)から上野国へ向かう道(上道)の出口と考えられているが、鎌倉時代初期には武蔵国の東方へ向かう中道、下道もまたここを通った可能性もある。


●16.05.13.
化粧坂切通のみ。。。。(o゜ー゜)oテクテク


鎌倉巡回マップ
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1jxb6mB3DQV4YD4D4murEy9SF9Rk


●17.06.19.
御前は6年ぶりか…┌(_ _)┐

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