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2022_1009_154941 普通|出町柳

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この1000系電車の扉位置が他の電車とずれている理由です。
この電車は、昭和42〜43年に700系電車として造られました。
当時、大阪でもドーナツ化現象(今は死語?)が急に進んだ時期で、郊外電車の輸送需要増に対して毎年新しい通勤電車をどんどん作って増発・増結を進めていましたが、新車の増備だけでは追い付かず、戦前製の車体の小さい電車の車体を全金属製大型車体に載せ替えることでの定員増が考えられました。
それで昭和36〜41年に登場したのが600系
http://photozou.jp/photo/show/251552/149315361
その改良型として昭和42〜43年に登場したのが700系、
http://photozou.jp/photo/show/251552/148634612
700系がのちのこの1000系電車になります。
見た目は新車と変わりませんが非力な戦前製の足回りに大型の車体を載せるため600系では車体の軽量化に意が払われ、外板を薄くしたり扉の位置も窓の構造も純新造車と若干異なるものになりました。後半で造られた700系では、600系で行った極端な軽量化まではしなくても性能が維持できること、反対にあまりに軽量化すしすぎて車体の保守に手がかかる(錆びると薄い外板はすぐ歪んで度々板金修理が必要)ことが解ってきたので、600系ほど極端な軽量化はされませんでしたが、600系との混用も想定して扉配置や窓構造などは600系が踏襲されました。このような経緯でこの車体が純新造車とは異なる扉位置を持つことになりました。

こうやって増発・増結がすすめられましたが、昭和45年頃には早くもそれも限界に達し、のこる手段は線増(複々線化)となりますが、その実現までは10年以上かかるため、より詰め込みが効き、乗降時間も短くて済んでタイヤを痛めにくい5000系
http://photozou.jp/photo/show/251552/267223809
が投入されることになります。

昭和55年には守口市〜萱島間の複々線化工事が竣工し、輸送力増強の最終課題であった架線電圧の昇圧が昭和58年に行われます。これによりさらなる増結が可能になります。
架線電圧の昇圧に合わせて電車の方も対応工事が必要ですが600系・700系の戦前製の電装品は古すぎでどうにもならず、廃車するしかありませんでした。このときに600系と700系の運命が別れます。700系の車体はまだ新しく、天井に重たいクーラーを載せても耐えられる強度があったので、昭和53年には早々に700系は一旦廃車となり、車体だけは冷房化の上、当時最新の5000系と同じ電装品と足回りをつけてもらい、新たに1000系という新車として復活しました。
一方600系も車体はまだ新しいが極端な軽量化が仇となって強度不足でクーラーが載せられず、そのまま車体も廃棄されることになり、昭和58年の昇圧前日まで走り続けて新車の6000系にバトンを渡して車体諸とも廃車されました。

1000系は特に華々しい登場経緯があるわけでもなく地味な運用に徹した電車ですが、5000系譲りの全電気子礼式のレスポンスの良いブレーキを持ち、軽めの車体ということもあって、良く走り、良く止まる運転しやすい電車として乗務員にはすこぶる評判のいい電車なのだそうです。

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